10月1日に、JR東日本の2階建て新幹線、E4系が定期運用を終了し、事実上引退します。国鉄時代の1985年に、初めて2階建て車両を備えた100系が登場して以来36年、日本の新幹線から、2階建て車両がいったん姿を消すことになりました。
今回は、惜しまれつつ引退することになったE4系が誕生するまでと、これまで活躍してきた背景をご紹介します。
混雑緩和策として登場したJR東日本の2階建て車両
E4系は、2021年9月現在、JR東日本の上越新幹線東京〜新潟間で使用されている新幹線車両です。営業運転を開始したのは、1997年12月20日。1994年7月に運行を開始していた初代オール2階建て新幹線、E1系の後継車両として登場しました。
1990年代初頭、JRをはじめとする都市鉄道の大きな課題のひとつは、通勤輸送の混雑緩和でした。1990年度の首都圏主要区間のピーク時における平均混雑率は202%。ラッシュ時には、定員140人の通勤電車に280人以上の乗客が詰め込まれていたのです。
混雑を緩和するために、さまざまな方策が試みられました。1990年に登場した6扉車もその一例です。6扉車は、乗降扉を増やして乗降をスムーズにし、混雑時には座席を折りたたんで立ち客の窮屈さを緩和しようとしました。しかし、これは山手線のように乗車時間が10〜20分程度であれば有効でしたが、増え続ける中・長距離通勤には向いていませんでした。
列車の混雑を減らすには、列車で運べる人数を増やすことがいちばんです。しかし、決められた線路の上を走る鉄道は、列車の本数を際限なく増やすことができません。駅のホームの長さも決まっているので、列車の編成を長くすることも簡単ではありません。
そこで、当時のJR東日本が力を入れていたのが、1両あたりの座席数を増やす2階建て車両です。
まずは1989年、首都圏の中距離普通列車に2階建てグリーン車が登場しました。グリーン車の座席を増やし、「今日は座って通勤したい」という人が確実に座れるサービスを始めたのです。
1991年には2階建て普通車のクハ415-1901が常磐線へ試験的に投入され、その実績をもとに1992年、オール2階建て構造の215系電車が誕生しました。これらの車両は、主に確実に座って通勤したい人がグリーン券や乗車整理券を購入して乗車する、有料着席車両として定着していきました。
通勤需要の拡大に対応できなかった東北・上越新幹線
同じ頃、新幹線にも定期券利用による通勤・通学利用が増えていました。1980年代のバブル景気による地価高騰に伴い、分譲住宅地は東京都に隣接する埼玉県から、さらに離れた群馬県、栃木県などに広がっていました。
加えて、1989年には、企業の通勤手当に対する非課税限度額が月5万円に引き上げられ、新幹線の通勤輸送拡大への追い風となっていたのです。東北・上越新幹線における定期利用客の割合は、2000年代半ばには利用者全体の約20%を占めるまでになります。
しかし、当時の東北・上越新幹線には、列車を増発できない事情がありました。それは、東京〜大宮間で東北新幹線と上越新幹線が線路を共有しているうえ、東京駅の乗り場が1面2線しかなかったことです。
下の図は、E1系が登場する直前、1994年4月11日朝7〜8時台の時刻表です。大宮〜東京間は最短3分間隔で列車が運行され、東京駅12・13番ホーム(現在の22・23番ホーム)には通勤客を大勢乗せた東北新幹線「あおば」や上越新幹線「とき」が次々と到着しています。東京駅に到着した列車は5分で回送列車として発車するか、12分で折り返し列車として発車し、列車が去った3〜4分後には次の列車が到着。東京〜大宮間は、通勤時間帯の列車増発が難しい状態だったのです。
東京駅の乗り場が足りない問題は、1997年の長野行新幹線(現在の北陸新幹線)開業と同時に、在来線のホームを1本ずつずらして新幹線ホーム1面2線を増設する目処が立っていました。それでも、東京〜大宮間を走れる列車の総量は変わりません。
課題を残した初代オール2階建て新幹線E1系
通勤客は増えるが、列車は思うように増やせない。それならば、新幹線にも在来線と同様に2階建て車両を投入して座席自体を増やそう。こうして開発されたのが、初のオール2階建て新幹線車両、E1系です。
E1系は12両編成。少しでも多くの人が着席できるよう、自由席となる1〜4号車の2階席には、新幹線初となる3列×3列シートが採用されました。その結果、グリーン車を含めた座席定員は1235名。従来主流だった200系12両編成と比べて、40%もの定員増を実現しました。
1994年7月15日、E1系は「Max(Multi Amenity eXpress)」の愛称を与えられ、首都圏長距離輸送の切り札として営業運転を開始しました。翌1995年12月のダイヤ改正では東北新幹線に「なすの」、1997年10月には上越新幹線に「たにがわ」と、首都圏短・中距離輸送に特化した列車種別が登場。新幹線による通勤・通学輸送はますます便利になりました。
しかし、E1系は順風満帆とは言えませんでした。2階自由席の6列シートは座席間のひじかけや、背もたれを倒すリクライニング機構も省略され、着席を第一に考えた設備が「詰め込み輸送」と批判されています。
また、運用上の課題もありました。E1系は、主力である200系に合わせて12両編成で登場しましたが、日中はその座席数を持て余したうえ、山形新幹線や秋田新幹線などとの併結ができないことから、柔軟な運用が難しかったのです。
こうした問題から、E1系は6編成72両で製造が終了し、1997年から後継車両としてE4系が製造されることになります。