鉄道といえば、鉄製の2本のレールの上を車両が走るスタイルが一般的です。しかし、鉄道事業法上の「鉄道」や、軌道法による「軌道」、いわゆる路面電車扱いの路線を含む、広義の「鉄道」には、このような一般の鉄道の他にも、ケーブルカーやロープウェイ、新交通システムなど、さまざまなシステムが含まれています。
そんな多種多様な鉄道システムには、広く普及したものもあれば、1路線のみの採用に終わってしまったものまで千差万別。さまざまな種類がある「鉄道」の中から、日本で唯一となっているシステムをご紹介します。
勾配を乗り越えるアプト式
SL列車の運転で有名な大井川鐵道は、金谷~千頭間の大井川本線と、千頭~井川間の井川線の2路線を運行しています。この井川線において、日本で唯一採用されているのが、急勾配に対応する「アプト式」です。
鉄道が急勾配を克服するためには、何度も切り換えして上るスイッチバックや、大きく迂回するループ線など、さまざまな手段が採られてきました。しかし、鉄製の車輪とレールだけを用いる粘着運転では登坂性能に限度があるため、これらの手段を採ったとしても越えられない勾配は存在します。
そこで、2本のレールの間に歯車レール「ラックレール」を設置し、車輪の間に設置した歯車と組み合わせて登坂する「ラック式鉄道」が開発されました。アプト式はこのラック式鉄道の一つで、ラックレールの形状などの違いにより、他にも複数の方式があります。
井川線では、沿線に長島ダムを建設する際、当時のルートが水没エリアに含まれるため、新線への付け替えが必要となりました。この際、90パーミル(1000メートル進む間に90メートル上る勾配)という急勾配のあるルートを選択し、アプト式を導入してこれを乗り越える方法が採られました。新線は1990年に開業。この区間ではアプト式電気機関車のED90形が連結され、列車の昇り降りを助けています。
アプト式は、かつては井川線の他でも採用されていたことがありました。群馬県と長野県の県境にそびえる、信越本線の碓氷峠です。
中山道による徒歩交通の時代から難所として知られていた碓氷峠は、信越本線建設当時の技術では、粘着運転による通過は困難でした。そこで、1893年に官設鉄道の横川~軽井沢間が開業した際には、アプト式を採用して66.7パーミルの勾配に挑んでいました。
戦後、信越本線の輸送量拡大が求められるようになると、アプト式から粘着運転に切り替えることが決定します。碓氷峠のアプト式は1963年に廃止となり、同年よりEF63形による粘着運転が開始。碓氷峠を通過できる編成重量は360トンから500トンに増加した一方、日本におけるアプト式路線は一旦幕を閉じました。
なお、アプト式を採用している路線は現在では井川線のみで、ラック式鉄道としても鉄道事業法に則った狭義の「鉄道」としては同線だけですが、他にも施設内の遊具扱いなどとして、ラック式を採用しているものがあります。たとえば栃木県の足尾銅山にある博物館のトロッコ電車では、急勾配区間にラック式の一つ「リッゲンバッハ式」が採用されており、わずかな区間ながらこれを体験できます。