武蔵宮さんのブログ
すべて外部サイト
すべて外部サイト
全1830件
土日のみ運転の特急「きりふり」で使われる350系。元は1969年から製造された赤い伊勢崎線特急用1800系で、電留線に止まっている200系と交替した後、日光線用に勾配対応改造で6両の300系と4両の350系になりました...
武蔵宮さんのブログ
本線の南側にあった貨物施設はなくなりましたが、北側の電留線は今も浅草発着の特急電車に活用されています。踏切の残っていた地上部分を高架化する工事が始まり、慌ただしくなった押上界隈にて。
武蔵宮さんのブログ
国鉄と北千住駅で接続していたので、業平橋駅は都心近くの貨物駅として需要がありましたが、国鉄の貨物縮小と都内の工場撤退で貨物扱いは1993年に廃止。砕石・セメントとともに歩んだ貨物施設は撤去され、地下鉄...
武蔵宮さんのブログ
東西方向に広がっていた業平橋駅。本線の北側に電留線、南側に貨物施設がありました。1902年に吾妻橋駅として開業した古い駅ですが、隣の曳舟駅から分かれる亀戸線がメインルートになって廃止。数年でこちらを始...
武蔵宮さんのブログ
浅草延伸時に造られた東京スカイツリー駅のホーム屋根は古レール組。長らく東武鉄道のターミナルだった、かつての業平橋駅。
武蔵宮さんのブログ
東京スカイツリー駅へやってきた館林行。地下鉄半蔵門線と接続するようになって以降、大部分の時間帯で浅草・北千住間の区間運転に変わっており、伊勢崎線を北上する電車は数少なくなりました。
武蔵宮さんのブログ
水門のすぐ隣を通る東武伊勢崎線。隅田川から分かれた北十間川は東の旧中川まで続いており、水運が盛んだった頃を偲ばせる運河です。
武蔵宮さんのブログ
浅草駅の出口は曲線なので、ポイントは隅田川橋梁の上。橋の前後はかなりの徐行になります。
武蔵宮さんのブログ
本年もお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願い致します。
武蔵宮さんのブログ
浅草駅にやってくる電車も世代交代が進み、特急以外はステンレス車へ。普通は北千住駅へ往復する区間列車になっています。
武蔵宮さんのブログ
浅草駅から曲がってそのまま隅田川橋梁へ。変わらずに続いて来た、私鉄の姿。
武蔵宮さんのブログ
中間に入った先頭車。固定編成が増えて、都心では珍しくなってきました。運転台のメーターは中間でも動作するので、つい眺めてしまいます。
武蔵宮さんのブログ
1931年に開業した浅草駅。始発駅を模索した東武鉄道は隅田川を渡った先に伊勢崎線を延伸し、鉄道が取り込まれた珍しいビルが造られました。鉄道が地味な交通機関だった戦前に駅ビルを賃貸する形態は、かなり前衛...
武蔵宮さんのブログ
防音改造と貫通路封鎖で印象の変わったカニ24-112。寝台特急「あさかぜ」を置き換える際、20系の電源車カニ21と同じ荷重5tとするため、荷物室を拡大したのが100番台。日本中を駆け抜けた青い電源車。
武蔵宮さんのブログ
秋田運転区で東北寝台特急を支えてきた電源車カニ24-23。民営化後に青森運転所へ移り、防音改造され、銀帯が白帯に代わり、最後まで裏方を務めた無人の客車。
武蔵宮さんのブログ
青森運転所を埋め尽くしていた寝台車も485系電車も姿を消し、わずかに並ぶ寝台車の中、九州寝台特急から移り住んだオハネ25-215の屋根も錆び始めて。
武蔵宮さんのブログ
「北斗星」用よりも早く「あさかぜ」用で金帯になったオハネ25-213。個室やロビーなどが華やいだ黄金期を生き抜いた寝台車。
武蔵宮さんのブログ
最後は寝台特急「あけぼの」で使われたオハネ25-147。国鉄末期のグレードアップ改造で登場した金帯車。
武蔵宮さんのブログ
東京運転区で寝台特急「あさかぜ」に使われていたオハネフ25-117。寝台固定・後部切妻の100番台は後部半折妻・逆連結可能な200番台より早く淘汰が進みました。
武蔵宮さんのブログ
ノビノビカーペットに改造されていたオハ14-515。こちら側と向こう側で大きく違った側面の窓配置。
武蔵宮さんのブログ
南海電気鉄道と泉北高速鉄道の合併が認可。2025年4月1日に実施。合併後の路線名は「泉北線」に。
真岡鐵道のキハ20形による、構内走行体験イベント。11月24日に開催。同日には有料撮影会も。
冬版の「青春18きっぷ」は3日用が登場。一方で、有効期間は連続3・5日間、複数人利用はNGに。
10月14日から一部日を除き運休となっている「サンライズ出雲」。なぜ「出雲」が対象なのでしょうか。JR西日本に聞きました。
この車両、いつまで走る? 引退が危ぶまれる車両や、見た目が変わりそうな車両をご紹介。今回は西武編です。
数百件の情報を掲載中。鉄道旅行や撮影の計画には、鉄道コムのイベント情報をどうぞ。