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>スーパー白鳥7号さんへ。そうです。今、JRと東武鉄道の乗り入れが可能なように、総武鉄道は現在の総武本線ですから、どちらも同じ1067ミリでした。
- 関西大好きな関東の鉄さん
- 2010年2月21日(日)
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>スーパー白鳥7号さんへ。それは良かったです。とにかく「鉄コム」参加者だけではなく、すべての鉄道ファンが一般の利用者や、鉄道会社に迷惑をかける行為を慎まなければ鉄道趣味は崩壊しますからね。今月号の「鉄道ファン」誌にもありましたが、このままで行けば、全駅で撮影禁止となってしまうと。そうなってしまうかどうかは私たちの行動にかかっています。
- 関西大好きな関東の鉄さん
- 2010年2月21日(日)
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>スーパー白鳥7号さんへ。そうです。経済性を重視。と言う事は「コストを下げる」という事ですからね。当時は大量の72系を早急に置き換えるために新性能電車を低コストで大量に製造する必要があったのです。なんでも「早く両開きの車両を」と言う時代でしたから、103系は時代のニーズにマッチした電車と言う事が出来るでしょうね。
- 関西大好きな関東の鉄さん
- 2010年2月21日(日)
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>スーパー白鳥7号さんへ。そうです。改造前の2000形や、2100形を思い浮かべてくれれば間違いないです。
- 関西大好きな関東の鉄さん
- 2010年2月21日(日)
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>スーパー白鳥7号さんへ。確かにね。総武鉄道に乗入れても隅田川を渡る事は出来なかったということですよね。ですから東武鉄道(伊勢崎線)の都心乗り入れは結局昭和37年まで待たなければなりませんでした。
- 関西大好きな関東の鉄さん
- 2010年2月21日(日)
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>スーパー白鳥7号さんへ。ええ、貴重です。確か101系が山手線に入ったのが昭和36年、103系が製造されて山手線に投入された初年は昭和38年です。完全置き換えに2~3年かかったとしても、昭和41年には完全に103系化されたことになります。また当時は「山手」の方向幕でした。したがって101系は「山手線」幕で走ったことはありません。
- 関西大好きな関東の鉄さん
- 2010年2月21日(日)
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>スーパー白鳥7号さんへ。またわかることがあればお答えしますし、私もスーパー白鳥7号さんに尋ねることがあればお尋ねしたいと思います。
- 関西大好きな関東の鉄さん
- 2010年2月21日(日)
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>スーパー白鳥7号さんへ。おはようございます。今日も「撮り」ですか?最近、私は携帯での駅撮りしかやっていませんが、マナーは守っていこうと思います。
- 関西大好きな関東の鉄さん
- 2010年2月21日(日)
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>スーパー白鳥7号さんへ。そうです。東武鉄道が都心乗り入れを目論む為に、亀戸線が亀戸から総武鉄道に乗り入れて両国橋まで行っていました。当時の「浅草」駅は隅田川の手前。現在の業平橋だったので当時の幹線は北千住~曳舟~亀戸だったのです。そこで、総武鉄道に乗り入れて両国橋まで直通運転していましたが、総武鉄道が東武に乗入れたという話は聞いていないので恐らく「片乗入れ」だったと思います。
- 関西大好きな関東の鉄さん
- 2010年2月21日(日)
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>成田エクスプレスさんへ。なんでそのような事をするんでしょうね。もう時効なので話しますが、小学1~2年生の頃、南千住付近の常磐線の築堤をよじ登って線路に立ち入った事があります。その時は72系を停めました。叱られこそしませんでしたが悪ガキに誘われてやった事とはいえ、非常に怖い思いをしました。ですから以後、大人になり、現在に至るまで線路立ち入りはしていませんし、これからもしません。
- 関西大好きな関東の鉄さん
- 2010年2月21日(日)
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>スーパー白鳥7号さんへ。E655系を撮ってきたんですね?マナーを守っていない人はいませんでしたか?とにかく私たちだけでもきちんとマナーを守って楽しい趣味をしましょうね。
- 関西大好きな関東の鉄さん
- 2010年2月21日(日)
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>スーパー白鳥7号さんへ。101系は駅間距離が短い線区には向かない上、全電動車方式からスタートしたため、クハ・モハ・サハ・クモハが各2形式づつと形式が多く、サハやクハも将来の電動車化をもくろんでパンタ台があったり動力台車を使用したりして不経済だったので、103系では最初からMT比率を半々としてクハとサハを1形式にするなど経済性を追求した電車です。ですから性能を無視して大量生産されたのだと思います。
- 関西大好きな関東の鉄さん
- 2010年2月21日(日)
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>スーパー白鳥7号さんへ。キハ26 400番台はリクライニングしない回転クロスシートで、サロ110を思い浮かべてくれればイメージできると思います。シートモケットの色は赤、普通車なのでカバーはなく、くたびれた印象でした。でも、向い合せに固定してたりしなかったのでその点は乗り得車両でした。何分気道車なので、どの列車に連結されているかが分からず、当たればラッキーという確率でした。
- 関西大好きな関東の鉄さん
- 2010年2月21日(日)
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>スーパー白鳥7号さんへ。成田線と房総西線(内房線)木更津電化は昭和43年。当時快速線はなく、錦糸町も通過でした。御茶ノ水・秋葉原・両国・新小岩・市川・船橋・津田沼・千葉・五井・木更津に停車し、中野~御茶ノ水間は各駅に停車していました。成田線直通は各駅停車で成田まで行っていました。72系は千葉折返しに使用されていました。
- 関西大好きな関東の鉄さん
- 2010年2月21日(日)
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>スーパー白鳥7号さんへ。それだけカナリア色=総武線というイメージが強いんでしょうね。カナリア色の101系が「山手」の方向幕で山手線を走ったのは私が幼い時でしたから、無理もないですよね。今はカナリア色ベタ塗の電車は東日本から消えてしまいましたが、西日本で復活しようとしているのは不思議です。近郊型の1色塗りなんて似合いませんけどね。
- 関西大好きな関東の鉄さん
- 2010年2月21日(日)
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>スーパー白鳥7号さんへ。いえいえ、大丈夫ですよ。気楽にいきましょう。
- 関西大好きな関東の鉄さん
- 2010年2月21日(日)
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- 関西大好きな関東の鉄さん
- 2010年2月21日(日)
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>スーパー白鳥7号さんへ。そうです。開業当時は「両国橋」と呼ばれていました。昭和45年ころまではSLも現役で、C57やC58が普通列車運用や、構内入れ替えなどに活躍していました。
- 関西大好きな関東の鉄さん
- 2010年2月21日(日)
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>CS20さんへ。山手線として最初に開業したのは赤羽~品川間でしたから、「名無し支線」というより、立派な本線として開業し、当時は大塚・巣鴨方面の方が「豊島線」という支線でした。大塚方面が本線になっても長いこと名無し支線だった通称「赤羽線」は、昭和47年に正式名称となり、山手線の起点が田端から品川へ変更となり、東北本線の支線から東海道本線の支線へと所属も変更になりました。
- 関西大好きな関東の鉄さん
- 2010年2月21日(日)
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>CS20さんへ。そうです。これは、その昔、(明治時代の話ですが…。)日本鉄道として山手線が開通したのが赤羽~品川間だったのに由来しています。その後、池袋~田端間は支線の豊島線(だったと思います)として開通し、「の」の字運転が始まった時に本線格となりました。
- 関西大好きな関東の鉄さん
- 2010年2月20日(土)