武蔵宮さんのブログ
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ホッパーのように上越新幹線が覆いかぶさる長岡駅。関東・関西から北上する様々な長距離列車が通っていた、信越本線の拠点。上越新幹線のホーム外側にある未使用部分。北陸新幹線と連絡する計画の遺産なのか、使...
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特急「しらゆき」が長岡駅を出発。北陸新幹線開通後の信越本線を走破する優等列車。
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戦後に複線化で輸送力を強化した上越線も上越新幹線開通で本数は減少。信越本線に変わる北陸ルートで計画された北越北線も北陸新幹線開通でローカル線化。特急電車が消えた上越線に乗り入れてきた北越急行の白い...
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かつて長距離列車が行き交っていた上越線。雪の季節を控えて、赤黄に染まり始めた山道。
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狭く、低く。レンガで組まれた小道。100年の歳月を支えてきた、レンガの橋台が残る街。
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団地へと変貌した千住駅。水運と連絡する貨物駅でしたが、掘割は既に埋められています。倉庫のあった辺りは資材置き場に。残された線路と架線柱が使われていたのは、もう35年も前。
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中千住信号所から分かれた貨物線は道路を渡って京成本線の下へ。道路用と鉄道用の違うガード橋が今も残っています。廃止から長い歳月を経てもなお残る、地面の線路。行き場を失くし、止まったままの時間。
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電車の留置用となった中千住信号所跡。本線が3本の留置線を挟んでいますが、元の本線は向こう側に並び、手前に側線がありました。
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限られた用地で貨物列車をさばいていた中千住信号所跡。国鉄と接続する北千住駅に地下鉄日比谷線乗り入れが決まり、貨物設備を移転したものでした。直進するように分岐していた貨物線は既にありません。
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かつては工場と木造家屋が並んでいた下町。マンションの並ぶ街へ変わった千住。
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小さな稲荷の横にある牛田駅。地下鉄から乗り入れてきた急行は止まらずに通過。牛田駅のすぐ向こうに開業した京成関屋駅。地名は千住曙町でまとめられており、駅名となった牛田堀は地下に埋もれて、古い地名は駅...
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業平橋駅へ向けて貨物列車も行き交った伊勢崎線。時代が変わっても走り続けてきた特急電車。
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西へ向けて大きく曲がる堀切駅。川沿いで空の広い駅を次々と通過する電車。
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小さな堀切駅の駅舎。下り側の駅舎は少しモダンな造り。開業当初は普通の駅でしたが、河川改修で街はずれに変貌。利用客が2両編成の亀戸線よりも少ない、都内にある東武鉄道の駅で最も静かな駅です。
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小さな駅舎の横を通過する急行。1902年に開業した歴史ある堀切駅ですが、ここは足立区千住曙町。荒川で分断された葛飾区堀切は河川敷を400m隔てた向こう。堀切駅の駅舎は堤防の真横。河川改修が大きく変えた地理。
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隣の堤防を隔てて広がる荒川。伊勢崎線は堤防横の堀切駅へ。
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特急電車の頃よりも長い年月を客車として過ごした食堂車スシ24-504。客車固有の食堂車オシ24が先に姿を消した後も現役で残っていました。
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改造時に上段用の小窓が追加されたオロネ25-505。小窓は20系客車の頃から続くA寝台特有の物でしたが、壁を屋根まで張り上げて曲面窓を設置するようになって、段々と見られなくなりました。
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東日本所属で中間に組み込まれていたオハネフ25-14。後に寝台特急「北斗星」廃止後も保留車で残った希少な存在。
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編成端に連結されていたオハネフ25-2。国鉄末期、耐寒改造されて青函トンネル開通を待っていた1両。
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南海電気鉄道と泉北高速鉄道の合併が認可。2025年4月1日に実施。合併後の路線名は「泉北線」に。
真岡鐵道のキハ20形による、構内走行体験イベント。11月24日に開催。同日には有料撮影会も。
冬版の「青春18きっぷ」は3日用が登場。一方で、有効期間は連続3・5日間、複数人利用はNGに。
10月14日から一部日を除き運休となっている「サンライズ出雲」。なぜ「出雲」が対象なのでしょうか。JR西日本に聞きました。
この車両、いつまで走る? 引退が危ぶまれる車両や、見た目が変わりそうな車両をご紹介。今回は西武編です。
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