武蔵宮さんのブログ
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開通したばかりの京葉線を駆け抜けた湾岸の電車。試運転を終えたら、海のない場所へ。
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格子窓の大きな建屋の下に銀無垢の車体。世代を超えて。
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地下鉄乗り入れをやめて、装いを変えて。工場のひととき。
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DD13の系譜が生き残っていた頃。DD15-13の向こうに新幹線の架線柱が立ち、迫りくる最後の時。
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ラッセル式除雪車が集結していた富山運転所。ラッセルヘッドを外す事もなく、夏に眠るDE15-1541。
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工事中の高架下、動かなくなってしまったEF81-742。富山機関区の片隅で。
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富山駅を出た683系。新しい特急電車も新幹線に追われて、やって来なくなってしまった白い車列。
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交直両用急行型の先頭車クハ455-60。東北の50Hz用455系と北陸の60Hz用475系は電動車のみの違いでクハ455は共通。451・471系から出力増強型453・473系、勾配抑速ブレーキ付き455・475系、50・60Hz共用型457系まで...
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今となっては懐かしい、北陸の足。夜の富山駅に止まるクモハ475-46。
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敦賀第二機関区は民営化で整理され、貨物用のEF81が去り、直流化を経ても残っていたEF81-113。溢れる光を湛えて。
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豪雪の北陸本線を守ってきたDE15-1532。複線用ラッセルヘッドを外す事もなくなり、場所は変わらず置かれたまま、以前にあった札は抜かれて、眠っている間に過ぎてゆく時間。
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花咲く港町の朝。国鉄時代から敦賀第一機関区所属で、地元に根付いたDE10-1119。敦賀駅で貨物扱いがあった時代を知っている1両。
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まるで走り出しそうなデキ104に続く黒い貨車の列。これらの貨車は遥か以前に廃車になっていますが、広瀬川原駅に残されたまま。
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広瀬川原駅で他の貨車と同様に残されているトキ500。ワキ800と同じく1968年から製造された無蓋車。国鉄トキ25000に類似していますが、汎用ではなく基本的に石灰石用で、国鉄の貨物列車に連結されて製鉄所へ往復し...
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広瀬川原駅の奥に眠るワキ800。1968年から製造された31t積袋セメント用有蓋車で、秩父鉄道の私有車。溶接プレス板で軽量化して側総開きを実現したフォークリフト荷役対応の有蓋車が国鉄で開発され、秩父鉄道のワ...
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広瀬川原駅の奥に眠るスム4000。1963年から製造された15t積セメント袋用有蓋車で、秩父鉄道の私有車。セメントは袋詰めからホッパ車のバラ積みに移行していったため、活躍の場が少なかった貨車ですが、広瀬川原駅...
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「パレオエクスプレス」用で使われてきた12系客車。12系は1969年に登場した国鉄の臨時用で、20系寝台客車に続いて空気バネ台車と冷房を採用。旧型客車を置き換えてサービス改善したもので、構造は後に14系と24系...
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1973年から1980年に7両製造された後継機デキ500。細かい部分で近代化した他はデキ300と同じ構造で、戦前機から続く前後のデッキは維持されました。
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1967年に3両製造されたデキ300。デキ200の後継機ですが台車は通常の構造に戻されており、標準的な姿になりました。
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秩父鉄道で戦後に導入された電気機関車デキ101。1951年に造られた日立製の標準型ですが、低出力で貨物運用に不向きだったため、茶色塗装になって「パレオエクスプレス」の補機に。デキ102以降は720kWから800kWに...
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南海電気鉄道と泉北高速鉄道の合併が認可。2025年4月1日に実施。合併後の路線名は「泉北線」に。
真岡鐵道のキハ20形による、構内走行体験イベント。11月24日に開催。同日には有料撮影会も。
冬版の「青春18きっぷ」は3日用が登場。一方で、有効期間は連続3・5日間、複数人利用はNGに。
10月14日から一部日を除き運休となっている「サンライズ出雲」。なぜ「出雲」が対象なのでしょうか。JR西日本に聞きました。
この車両、いつまで走る? 引退が危ぶまれる車両や、見た目が変わりそうな車両をご紹介。今回は西武編です。
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