武蔵宮さんのブログ
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信越本線で使われていたEF62でしたが、1984年の貨物縮小で直通する貨物列車が無くなり余剰化。一部はEF58・EF61に代わって東海道本線・山陽本線の荷物列車へ異例の転身後、そのまま帰る事はありませんでした。建...
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碓氷峠の新線補機として1962年に製造されたEF63。16km/h程度だったアプト式単線の旧線に代わり、30km/h以上で走行可能な複線の新線。新幹線開通で新線が廃止されるまでの約30年間、工場へ入る時以外、横川機関区...
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信越本線の本務機として1962年に製造されたEF62。重量制限と軸重補償で2台車を採用した唯一のF級新性能機で、碓氷峠を直通する客車・貨車とともに最後を迎えました。
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桜が咲いた山麓、保存されているクハ189-506。EF63で押し上げられていた181系8両に代わり、1975年に導入された協調運転対応の189系。坂下に連結されたEF63が電車を制御し、特急電車の12両化が実現しました。
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1980年に製造されたクハ115-1208が横川駅へ。信越本線の普通列車として走り続けてきた115系。単独で登坂する試験も行われましたが、民営化後も軽井沢駅までEF63に押し上げられていました。時代は移ろい、終点とな...
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時代は移ろい、終点となった静かな駅へやってきたD51-498。分断されて特急電車の来なくなった幹線に残された花。
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ここから先の信越本線が廃止され、道路と駐車場に変わった横川駅の裏手。4番線と側線から来る線路だけは残されており、いつか再利用される日を夢見て眠りついています。保存車両の変更時に活用されただけの、物言...
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寝台急行「はまなす」21号車のオハネ24-503。他の号車を変えず、大きな番号で割り込ませた増結車。オハネ14-75は1982年の東北新幹線開業で移転、耐寒改造でオハネ14-511となって北海道へ。民営化後の「北斗星」増...
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寝台急行「はまなす」4号車のオハ14-512。特徴的な窓に改造された、のびのびカーペット。寝台車とも座席車とも違う、夜行の姿でした。
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寝台急行「はまなす」5号車のオハ14-510。側板の老朽化は深刻でしたが、北海道新幹線開通まで何とか維持されていました。
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寝台急行「はまなす」7号車のスハフ14-501。国鉄再建の始まった1980年に北海道へ渡った14系耐寒改造車。東武鉄道へ移転する事など知らず、夜を走っていた日々。
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22時43分、6番線に大阪行「トワイライトエクスプレス」が止まっていた刹那、3番線へ札幌行寝台急行「はまなす」が入線。客車の後ろにED79をぶら下げたまま、青森運転所からDE10-1764に先導されていました。かつて...
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青函トンネル開通で青森駅東側からの航送が廃止された後も、西側に残っていた側線。民営化後しばらくは函館行寝台特急「日本海」から分離された増結車の留置なども見られましたが、新幹線開通で電車の待避も少な...
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かつて上野発着・大阪発着の特急が並んでいた青森駅。新幹線開通で特急も少なくなり、秋田方面の連絡特急だけが姿を見せています。
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スーパーの時代に変わって動き出した、濃紺の特急。
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花盛りの森へ、国鉄機の青が。
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明るくなり始めた春の朝。一度は来なくなったEF66でしたが、ごく一部が再び大宮の街へやってくるようになりました。桜並木を横切った、懐かしい風。
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瞬く間に過ぎてゆく、春。
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花を喜ぶ鳥と戯れて。
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灯が夕暮れに色を添え。
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南海電気鉄道と泉北高速鉄道の合併が認可。2025年4月1日に実施。合併後の路線名は「泉北線」に。
真岡鐵道のキハ20形による、構内走行体験イベント。11月24日に開催。同日には有料撮影会も。
冬版の「青春18きっぷ」は3日用が登場。一方で、有効期間は連続3・5日間、複数人利用はNGに。
10月14日から一部日を除き運休となっている「サンライズ出雲」。なぜ「出雲」が対象なのでしょうか。JR西日本に聞きました。
この車両、いつまで走る? 引退が危ぶまれる車両や、見た目が変わりそうな車両をご紹介。今回は西武編です。
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