武蔵宮さんのブログ
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全1830件
近年になって始まった浜川崎駅の縮小工事。鶴見線の貨物列車が激減し、縮小後もまだ余りそうな線路。車止めが移動した事で、陸橋も形骸化。かつて日本最大級の貨物需要を担った駅の今。
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今も現役の高架橋の上に被さる、鶴見線との連絡線。架線が外され、レールが所々途切れ、草木が生えてしまった人工物。
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集束した浜川崎駅の線路は陸橋の下で途切れていました。膨大な貨物列車の入換と干渉しないように架けられた陸橋でしたが、もう下を通るものはありません。集束した線路は工場へ向けて広がっていましたが、今は更...
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浜川崎駅の線路は東の端で集束。左にあった浜川崎機関区も姿を消し、常駐する機関車も並ぶ貨車もありません。浜川崎駅には関東各地から石灰石が集まり、関東各地へ石油が送られていましたが、業界再編で事業所が...
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周囲の日本鋼管へ専用線が繋がっていた頃より簡素になったものの、それでも残る複雑な線路。ほとんど貨物列車のない今では草が目立つようになりました。
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浜川崎駅は高度成長期に飽和状態となり、貨物扱いを新設された塩浜操車場に分散。鶴見線から浜川崎駅を通さずに塩浜操車場へ向かう高架線が頭上に残っているものの、既に鶴見線から北へ向かう貨物列車が存在せず...
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塩浜操車場と南武線を繋ぐ連絡線は汐留駅からの迂回路として整備され、現在も東京貨物ターミナル駅を発着する全ての貨物列車が通過。連絡線は浜川崎駅の隅を通るだけで、貨物列車は止まりません。
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かつて貨物列車の一大拠点だった浜川崎駅。1926年に鶴見臨港鉄道が開通した時の終点で、1930年に南武鉄道が接続後、戦時買収で国有化。1964年に開業した塩浜操車場へ南武線と鶴見線から連絡線が造られたため、X型...
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工場で見かけた2ヶ月後、小倉駅を通過するEH500-47。関門トンネルを往復し、瞬く間に屋根は汚れてしまいました。
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関東でも頻繁に見かけるEH500ですが、裾にはまった「門」の字が普通でない事を物語っています。遥か西からやって来た赤い車体。
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工場を出て2年、辿り着いたのは色あせた車列の中。国鉄色に混じって動かなくなっていました。
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工場の奥に止まっていたEF64-1017。あまり見かけなかった印象の1017号機。
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1年後に工場へ入ったEF64-1010。磨き上げられた車体が組み立てを待っていました。
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東北本線にも姿を見せていたEF64-1010。汚れが目立ち始めてきた頃。
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復帰して2ヶ月後、すぐに汚れてしまう機関車の宿命。
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工場で磨かれたEF65-2083の車体。台車が大きいため、分解すると機関車の車体は思ったよりも小さく見えます。
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役目を終えて、動かなくなったEF64-1012。多くの国鉄機と同じく、脱色して煤けた水色に。終わろうとしている、一つの時代。
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水面のすぐ近くを通る線路。天下一の水城があった行田の街。埋立てで城跡はほとんど消えてしまいましたが、周囲には今も水路が残されています。小さな東行田駅。行田市駅よりも中心部にあり、簡素な造りですが利...
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田園を往く2両編成。世代交代が進み、ほとんどがステンレス車へと変わりました。
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静かな突堤の倉庫街。綺麗に舗装されていますが、かつて線路が敷かれて、有蓋車が出入りしていました。兵庫駅から和田岬駅へ向かう線路と平行していた貨物線は旋回橋の手前にあった新川駅で北へ分かれて、神戸市...
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南海電気鉄道と泉北高速鉄道の合併が認可。2025年4月1日に実施。合併後の路線名は「泉北線」に。
真岡鐵道のキハ20形による、構内走行体験イベント。11月24日に開催。同日には有料撮影会も。
冬版の「青春18きっぷ」は3日用が登場。一方で、有効期間は連続3・5日間、複数人利用はNGに。
10月14日から一部日を除き運休となっている「サンライズ出雲」。なぜ「出雲」が対象なのでしょうか。JR西日本に聞きました。
この車両、いつまで走る? 引退が危ぶまれる車両や、見た目が変わりそうな車両をご紹介。今回は西武編です。
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