武蔵宮さんのブログ
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全1830件
地権の及ばない川の上に造られた高速道路。都内ではよくある光景ですが、ここは埋め立てられて川が消滅。存在しない川を渡る鉄橋、鉄橋の上を横断する高速道路。歪な都市計画の跡をDE10-1752が走ります。
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亀戸駅で分かれた貨物線は雑然とした下町を南下。複線用で造られた鉄橋は港や工場から数多の貨車が往来していた最盛期でさえ単線のままでした。
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新小岩駅の脇で折り返すDE10-1571。都内で細々と続く日常。
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走行中も静かな食堂室。電車などと違って、客車ならではの静寂。
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特急電車の食堂車では両端部に回送運転台がありました。反対側は業務用室の中でしたが、こちらは正面の壁にある段の中に埋め込まれた状態。客車に改造された際、窓なども埋め込まれて特徴的な姿は見られなくなり...
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側面に客用の扉がない食堂車では、入口はいつもここから。貫通路と食堂の間には、左に倉庫、右に業務用室。食堂の扉以外は、国鉄車の雰囲気が残るスシ24の小さな空間。
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特急電車から寝台客車へ姿を変えたスシ24-501。九州方面で20系から24系25型への変更によって不足する食堂車にオシ14が編入されたり、オシ14がロビーカーへ改造されたりする一方、青函トンネル開通で不足する食堂...
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コキ100系のような構造で造られた長物車チキ5400。はるか遠く、北九州の製鉄所からやって来ました。
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貨車の種類も減り、見た目も規格化された今、目を引く存在になったステンレス無垢のタンク車。たった1両だけの試作車タキ143645。
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少し色あせたトップナンバー。冬場の需要を支える裏方。
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タキ1200と一緒に使われているトキ25000。国鉄車を引き継いだ無蓋車の日常。
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遠く小名浜で見かけたタキ1200が夕刻に。貴重な存在となった石油以外のタンク車。
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早朝の駅を人知れず通っているホキ10011。オイルショック後にセメント工場で石油に代わって利用されるようになった石炭を運んで来ました。石炭埠頭があった豊洲埠頭が無くなり、セメント工場の再編が進み、それで...
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三笠駅跡のすぐ近くまで雑木林が迫っており、保存編成の反対側にあるキハ80-37は今にも森に埋もれそうになっています。かつて人が石炭を運んだ道と大自然の狭間で。
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三笠駅跡の近くに工業用の機関車が保管されていました。割と新しいものなので、炭鉱とは関係なさそうです。どちらかと言うと、向こうに転がっている蒸気機関車の動輪が気になりますが…。
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三笠駅跡で編成に組み込まれたまま残るキロ80-52。優等列車の栄華を今に伝えています。
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東北本線特急「はつかり」用キハ81登場の翌1962年に全国展開したキハ82。北海道初の特急「おおぞら」として青函航路連絡を担い、現在の北海道では想像もつかない13両編成を組んでいました。50年の歳月を経てなお...
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三笠駅跡に佇むホキ2341。主に港の食糧倉庫から製粉工場へ輸入小麦を運んでいたホキ2200は関東でも馴染みの貨車でしたが、現存車はほんの僅かになりました。武骨な黒い貨車の中で、熱対策でクリーム色と遮蔽板の...
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ちょうど60年前に造られたホキ746。線路内に砂利散布可能なホキ800は今も現役で残りますが、直前に少数製造されたホキ700は外側しか散布出来ないタイプ。人影もまばらな北の大地で、物言わぬ貴重な生き残り。
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風光明媚な三笠駅跡。秋の北海道では様々な色が溢れています。
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南海電気鉄道と泉北高速鉄道の合併が認可。2025年4月1日に実施。合併後の路線名は「泉北線」に。
真岡鐵道のキハ20形による、構内走行体験イベント。11月24日に開催。同日には有料撮影会も。
冬版の「青春18きっぷ」は3日用が登場。一方で、有効期間は連続3・5日間、複数人利用はNGに。
10月14日から一部日を除き運休となっている「サンライズ出雲」。なぜ「出雲」が対象なのでしょうか。JR西日本に聞きました。
この車両、いつまで走る? 引退が危ぶまれる車両や、見た目が変わりそうな車両をご紹介。今回は西武編です。
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