武蔵宮さんのブログ
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尾久駅に隣接した着発線で待機するEF510-515。客車を引く訓練ではEF81やEF65が使われていましたが、世代交代を見越して増備されたEF510-500番台へ交替しつつありました。その後に寝台特急の縮小でEF510の移転が始...
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寝台特急が姿を消した後も残っていたオハネフ25-14。青森運転所から尾久客車区へ来て30年余り、電車の整備ばかりになった車両基地が客車区だった証。
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雑居ビルの乱立する下町に広がる尾久客車区。今はもう、青い客車の並ぶ姿は見られません。
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尾久客車区の南側にある田端機関区。品川の東京機関区と対に位置し、都内に残された数少ない機関区。寝台特急が消えてもなお残る、機関車の姿。
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雑然とした街で。レール輸送と残り僅かな客車入換のために、待ち続ける機関車。
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入換中のDE10-1697。品川客車区が姿を消し、都内でたった一つになった、機関車が貨車以外を動かす場所。
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尾久客車区と田端操車場を結ぶ南亘り線。機留線に出入りする機関車のみが通る、都内で希少となった斜め踏切。この向こうに北亘り線がありましたが、国鉄末期に田端操車場とともに廃止されています。
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給油ピットを使うのは30年間DE10のみ。検修庫には国鉄末期から変わらない機関車の姿。
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尾久客車区と田端操車場の間を通る道路。道路の隣にある機留線には今はなき赤い車体。
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夕日を浴びて佇むDE10-1752。転車台が姿を消した機留線。
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新幹線の車両基地へと変わった田端操車場。片隅に残った機留線のEF81-95。時代が経過し、貨物運用と分離されて機関車の姿はまばらになりました。
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東武鉄道との貨物連絡がなくなった埼北に、別の形でやってきた東武特急。かつて貨物駅で工業化しようとしていたとは思えない、のどかな空。
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貨物施設を再開発した住宅地のさらに北側には原野。需要の少なさを象徴するような場面に、貨物列車がやってきました。もう貨物駅はなく、貨物列車は止まりません。
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東鷲宮駅の上り線高架橋に残る交差の跡。橋脚が変形した部分を貨物列車が通って着発線へ出入りしていました。ターミナルのように貨物扱いをしていた北側は扇状に広がった道路以外に痕跡も残っていません。もはや...
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地上の下り線と高架橋の上り線が並ぶ東鷲宮駅。貨物駅として開業した翌1982年から旅客営業を開始。向こう側に貨物の通路線と着発線が10本もありましたが、国鉄貨物縮小で東武鉄道の連絡用に5本残して撤去され、東...
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貨物駅の東鷲宮駅が造られた際、交差しないように上り線が高架橋となりました。周辺の一般駅から貨物扱いを分離し、埼玉県北部の拠点となる予定でしたが、現在あるのは新幹線の保守基地。クレーンの向こうにある...
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500mほど離れた東北新幹線へ向かう保守用の高架橋。保守車両が通るだけなので地上でも問題ないのですが、立ち入りを制限する関係から低い単線高架橋が緩やかに伸びています。
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久喜駅から先へ伸びた連絡線。簡単に電化された貨物線と保守用の標準軌。貨物線の先に貨物施設はなくなってしまいましたが、右の標準軌は大きな保守基地と新幹線へ向かう高架橋へつながっています。瞬く間に貨物...
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閉まる踏切と開いたままの踏切。他では一つになっていそうですが、東武伊勢崎線の築堤下にある踏切は東北本線と貨物連絡線で別。連絡線の片方は東北新幹線の保守用になっており、県内では珍しい標準軌の踏切とな...
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久喜駅を出た東武伊勢崎線は東へ回り込んでから東北本線と交差。この辺りまで来ると住宅地が途切れ始め、広々とした空が広がっています。
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南海電気鉄道と泉北高速鉄道の合併が認可。2025年4月1日に実施。合併後の路線名は「泉北線」に。
真岡鐵道のキハ20形による、構内走行体験イベント。11月24日に開催。同日には有料撮影会も。
冬版の「青春18きっぷ」は3日用が登場。一方で、有効期間は連続3・5日間、複数人利用はNGに。
10月14日から一部日を除き運休となっている「サンライズ出雲」。なぜ「出雲」が対象なのでしょうか。JR西日本に聞きました。
この車両、いつまで走る? 引退が危ぶまれる車両や、見た目が変わりそうな車両をご紹介。今回は西武編です。
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