武蔵宮さんのブログ
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鶴見線と平行する連絡線に残る可動橋。連絡線が地上へ降りる坂の途中で工場の踏切を通せなかったため、関東では珍しい昇降橋が造られました。使われなくなった連絡線ですが大部分で残っており、可動橋もそのまま...
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浜川崎駅から鶴見方面へ。鶴見線は電車と地上の施設を通った貨物列車が複線を共用。高架の単線は川崎貨物駅への連絡線で、膨大だった鶴見線の貨物を浜川崎駅を通さずに新設された操車場へ分散するためのものでした。
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浜川崎駅近くで構内道路になっているガード橋。かつて鶴見線と別に独自の輸送網となっていた日本鋼管専用線の名残でしょうか。鶴見線沿線に林立していた日本鋼管の製鉄移転と国鉄民営化で、鶴見線から多くの貨物...
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木に覆われ始めた廃線跡。工業地帯の中で放置された、全国と繋がっていたはずの道。
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発電所専用線などが無くなった後も残った扇町駅南の専用線。オイルショックで開始されたセメント高炉用の輸入石炭輸送でしたが、東京の豊洲埠頭にあった大規模な石炭埠頭が廃止されて扇町駅へ移転。炭鉱と港を結...
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静かな扇町駅へやってきたDE10-1555。浜川崎機関区のディーゼル機関車が入換に奔走していた頃と違い、必要な時にしか機関車が来ない鶴見線の今。
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塀とパイプラインで囲まれた道路を横切っていた専用線。扇町駅の西へ広がる工場と工場を結んでいた踏切は昔と変わらずに。
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鶴見線の扇町駅。三菱石油と昭和電工が主要な荷主だった時代も過去となり、タンク車が止まっていた側線は草に覆われてしまいました。バラのアーチで彩られたブロック積みの終着駅。
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ゲートが閉じたままの専用線。鶴見線の主要品目は石油でしたが、業界再編で古い埋立地から出荷元がなくなり、タンク車は来なくなりました。いつか使われる日を夢見て草に埋もれていた線路でしたが、もう残ってい...
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鶴見線の浜川崎駅から南へ。道路と並ぶ本線から分岐した専用線でよくあった斜め踏切ですが、貨物列車の廃止で専用線とともに多くが姿を消してしまいました。浜川崎駅まで複線の電車線と単線の貨物線が並んでいま...
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あずき色の初期塗装も休む東青森駅。北国への入口にある港町。
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昼の東青森駅、0番台と同じように使われているEF510-500番台。寝台特急の縮小で早くから転用された、星が消された青い車体のEF510-511。
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東青森駅を通過するEH500-17。深夜に北旭川駅を出た貨物列車は首都圏を経由して、翌日の夕方に大阪の百済駅へ。EH500が青函トンネルへ直通していた、あの頃。
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東青森駅で入換中のEH500-43。ここは本州最北の貨物駅。
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煌々と照らす照明の下、到着したEF510-7。0時過ぎに吹田貨物ターミナル駅を出た貨物列車は約20時間かけて青森信号場へ。
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北国へ旅立つEH800-8。街はずれ、操車場の消えた広い空の下で。
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青森信号場のEH800-10。国鉄末期から変化し続けてきた港街の今。
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いつ来ても変わらない煙突。向こう側だけでなくこちら側にも建造物が立ち並ぶ、工場の街。緑の草に覆われた専用線が、時代が移ろいだ証のように。
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紙を運ぶ有蓋車や変圧器を載せた大物車が通った道。駅を出てもどこにも繋がっていない、行先のない道。
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駅の近くにある専用線はそのまま。向こうにある本線の踏切と対照的に、通る物もなく、ただあるだけの簡素な踏切。
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南海電気鉄道と泉北高速鉄道の合併が認可。2025年4月1日に実施。合併後の路線名は「泉北線」に。
真岡鐵道のキハ20形による、構内走行体験イベント。11月24日に開催。同日には有料撮影会も。
冬版の「青春18きっぷ」は3日用が登場。一方で、有効期間は連続3・5日間、複数人利用はNGに。
10月14日から一部日を除き運休となっている「サンライズ出雲」。なぜ「出雲」が対象なのでしょうか。JR西日本に聞きました。
この車両、いつまで走る? 引退が危ぶまれる車両や、見た目が変わりそうな車両をご紹介。今回は西武編です。
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