武蔵宮さんのブログ
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建設時期が他よりも早かったため、一直線に港を目指す名古屋港線。彼方には再開発で造られた観覧車。
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東海道新幹線の高架と平行する名古屋港線の築堤。実際には逆で、1960年代に築堤と平行して高架橋が建設されました。
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新幹線のすぐ隣、白鳥駅へ分岐していた廃線跡。南東の堀川沿いにある国際会議場などは貯木場の堀を埋めた場所で、八幡信号場で分かれた貨物線は堀に隣接する白鳥駅と北側にあった名古屋市場駅へ向かっていました...
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名古屋駅の南、中央本線から山王信号場で分かれる貨物線の名古屋港線。臨時のナゴヤ球場正門前駅跡を過ぎると築堤を上って東海道新幹線と平行して南下。車窓に映る小屋や片方外された複線ガード橋は、白鳥駅へ分...
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民営化後に40両以上も田端運転所に集中配置されていたEF65-1000番台。旅客用・貨物用・特急用、かつて種別があった時代に生まれたEF65-1103。
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尾久客車区と田端操車場に挟まれた道路。DE10-1603が下町の斜め踏切へ。
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出発を待つEF81-141。電気機関車が電気機関車に引かれて去って行く日。
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わずかな客車の入換で常駐していたDE10-1697。台地が見下ろす田端の街。
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塗装が剥げてしまったマヤ34-2004。旧型客車と軽量客車の構造が混在、試験用に中央にも台車があった高速軌道試験車。
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彼方には霞むスカイツリー。客車の姿が激減した尾久客車区。入換がなくなって錆び付いた引上線のレール。
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都心から工業地帯がなくなり、市街地になった埋立地。運河にかかる鉄橋だけは昔と同じまま。
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市場に変わったもう一つの石炭埠頭。豊洲埠頭の先にも石炭埠頭があって、道路の両側とも石炭が積まれていました。道路に平行していた貨物線はここが末端。熊谷のセメント工場へ石炭輸送をしていたホキ10000も元は...
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石炭埠頭の先は右が倉庫街で左がプラント。今はゆりかもめが通る街へ変貌し、道路の左側に平行していた廃線跡もわからなくなりました。
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火力発電所の跡に造られた学校。産業遺産として飾られている古典機。1886年製の403型は私鉄譲渡を繰り返して、今は埋立地のモニュメントに。
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ガスの科学館があるのは石炭埠頭の跡で、両側に山積みされた石炭の中を貨物線が通っていました。今の公園からは廃線跡どころか、石炭埠頭の雰囲気すら感じられません。
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再開発から取り残された岸壁。左のフェンスあたりが廃線跡で船に無蓋車を横付けしていましたが、利用率は低かったようです。左の建物部分にあった線路は左奥へ曲がって大きな倉庫の中を通り、埋立地を半周して豊...
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晴海方面から分かれた豊洲方面の貨物線は今の豊洲公園で南に向かって大きく分岐。晴海方面よりも廃止が早く、右にあった石炭埠頭と左奥の岸壁に伸びていた線路は1980年代のうちに姿を消しました。
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かつての雰囲気が残った最後の一角。晴海埠頭は大きく様変わりしました。
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豊洲埠頭へ渡る道路橋建設で再開発が進み、廃止後も長く残っていた線路は消滅。晴海埠頭でかつての雰囲気が残っているのは、4棟のうち2棟が残った都営倉庫。現役の頃は右奥に向かって有蓋車を横付けする線路が伸...
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晴海運河を渡るアーチ橋。常磐線の三河島駅近くで現役の鉄橋と同世代の意匠。元は灰色だったものが年月とともに錆色に変わっていきました。錆びで全体が黒く見えるほどに変色しながら、レールを残したまま時代を...
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