武蔵宮さんのブログ
すべて外部サイト
すべて外部サイト
全1922件
先頭車8001は中間車8101・貫通型先頭車8201と組んで1993年に登場した試作車。先頭部の連結器カバーは量産車では周囲をボルト固定していますが、試作車のみ開閉機構になっていました。
武蔵宮さんのブログ
四国特有の特急電車8000系。傾斜する振子車体に影響されないよう、台車から上に伸びたケーブルでパンタグラフを変位する補正機構が特徴的。2000系気動車に続いて民営化後に最も早く登場した振子式特急電車で、四...
武蔵宮さんのブログ
多度津駅の車庫で休むDE10-1139。岡山機関区から海を渡り、そのまま四国に根付いたディーゼル機関車。
武蔵宮さんのブログ
伊予三島駅の専用線に止まるコンテナ車コキ107-1079とコキ107-188。舗装された併用軌道に貨車が止まっていた、懐かしさを感じる倉庫の光景。
武蔵宮さんのブログ
石炭輸送が終了し、大量に並んでいたホキ10000の姿も消えた三ヶ尻駅。1960年代に広大な畑がセメント工場へ変わり、畑を貫く専用線が造られて。今も残っているのは草に埋もれた巨大な貨物駅。
武蔵宮さんのブログ
この先はセメント工場。途切れた線路に向かって無言で佇む信号機。
武蔵宮さんのブログ
耕地整理で取り残された斜めの道路をそのまま跨ぐ形になっていた場所。すぐ左には工場隣接の三ヶ尻駅。ここでも2本あったガード橋を片方だけ撤去。架線柱も無くなり、広くなったように感じる交差点。
武蔵宮さんのブログ
鉄道建設前からあった主要道路を越えて。雰囲気が変わったように見えるのは2本あったガード橋が片方だけ撤去されたため。この辺りには電化されていた本線に沿って入換用の引上線があり、本線が撤去される一方で引...
武蔵宮さんのブログ
住宅地の上を越えていたガード橋。実際には逆で、一面の畑だった築堤周辺が後から宅地化されました。視界を塞ぐように横切っていたガード橋が外されて、少し広くなった空。半世紀の間に生まれては消えていく景色。
武蔵宮さんのブログ
畑の道が十字に交差していた部分を跨ぐため、偶然に大きく造られたガード橋。籠原駅に新設された南口の延長にあたり、時代を経て2車線に変わった道路もくぐる事が出来ました。衝撃的な変貌を遂げていた廃線跡。道...
武蔵宮さんのブログ
1960年代に工業団地が整備された際、長方形の田畑を斜めに横切る専用線の築堤が造られました。ガード橋は元からあった畑の道を跨ぐ部分に架けられたもの。周囲の雰囲気はあまり変わっていませんが、廃止後でも管...
武蔵宮さんのブログ
熊谷貨物ターミナル駅との接続は上越新幹線建設に伴う工事だったため、電化とともに踏切も国鉄並みの新しい物が設置されて、貨物列車の往来に対応していました。踏切や架線柱が撤去されたものの、立ち入り防止で...
武蔵宮さんのブログ
築堤の向こうに霞むチチブセメント熊谷工場。少し前まで電気鉄道があったとは思えない道の跡。
武蔵宮さんのブログ
熊谷貨物ターミナル駅を出発した貨物列車。ほんの少し前まで確かにあった線路。朝にいつでも見られた光景でした。線路も架線柱も撤去されてしまった貨物線。新線では左奥へと曲がっていましたが、旧線では田んぼ...
武蔵宮さんのブログ
高崎線から急カーブで離れていた専用線。元は左にある籠原駅と繋がっていた専用線でしたが、1979年に熊谷貨物ターミナル駅が建設されて秩父鉄道と専用線経由で連絡する事になったため、この部分だけ右に曲がる新...
武蔵宮さんのブログ
籠原駅から東側に出た専用線が分かれていた場所。EH500-25が通過するすぐ右から、田んぼの中を南へ曲がっていました。今は跡形もない田園風景。
武蔵宮さんのブログ
籠原駅の西側だけでなく、東側にも伸びていた専用線。ここには高崎線に沿って左にもう1本線路がありました。
武蔵宮さんのブログ
籠原駅で不自然に残る跨線橋。国鉄時代は片側にしか出られない典型的な地上駅舎でしたが、民営化時に跨線橋と直結する2階建て駅舎が新設され、さらに通路が追加された結果、古レール組の跨線橋が取り込まれる形に...
武蔵宮さんのブログ
貨物列車の入換用から電車の留置用に変わった籠原駅の側線。ホーム寄り4本が元の国鉄部分で、うち2本は貨物列車の受け渡し用だったもの。左の3本は専用線だった部分で、6本あった専用線部分は一旦撤去されました...
武蔵宮さんのブログ
籠原駅近く、活用策がないままの隙間。幸か不幸か使われない事で生き残った、どこにも繋がっていない線路。
武蔵宮さんのブログ
座席指定サービスにも対応、2027年春にデビュー予定。既存急行用車両も色を順次変更へ。
荷物輸送サービス「はこビュン」の専用車両。E3系を改造し、2025年秋に投入予定。
次期東北新幹線車両として開発。2027年秋以降に落成し、2030年度内に営業運転を開始。
4月1日の京成電鉄と新京成電鉄の合併後、元新京成車はどうなる? 京成に取材しました。その将来の分析も。
1950年代の国鉄は、東京圏を今と違った形に改良する計画を持っていました。その中身とは?
ダイヤ改正の3月到来。鉄道旅行や撮影の計画は、鉄道コムのイベント情報で。
鉄道コムでは、臨時列車や基地公開など、さまざまなイベントの投稿写真を募集中! 投稿写真一覧はこちら。