武蔵宮さんのブログ
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貨物列車で使われない分、綺麗だったEF64-1031。道端を臨時列車が通った日。
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コーポレートカラーだったEF64-1026。原色に戻る前の日常。
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塗装が色あせてきた車体。やがて関東へ来なくなり、そのまま眠りについたEF64-1019。
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国鉄再建が始まった年に長岡機関区へ配備されたEF64-1000番台。豪雪の上越線で補機をしていたのは、もう過去の出来事。
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平地でも普通に使われていたEF64。今は関東に1本もない貨物列車。
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機関車の交替が多かった頃、当たり前のように存在した単行の電気機関車。
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地域の足として、観光の道として。山々を背に、高地の街を繋ぐ長野電鉄。
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第三軌条集電の地下鉄から脱却して乗り入れ用に架空線を採用し、時代を先取りしたセミステンレス車体の営団3000系。見た目ではあまり変化がわかりませんが、既に製造から50年以上経過し、中古車としての役目も終...
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須坂駅ホーム端にある100周年記念の石碑。河東鉄道は開業時に蒸気機関車を導入し、電化まで5年だけ使われました。100年前の国産蒸気機関車は加悦鉄道へ。信州での使用は短かった小型機、加悦鉄道廃止後、現地で保...
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須坂駅ホーム端のオブジェ。並べられた転轍機や車輪は往時の名残。様々な駅、様々な場所に存在していたドラマ。
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3000系と交代したアルミ車体の営団03系。軽量合金の地下鉄車も今は地方の主役。
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東急車に混じって留置されている営団3000系。1960年代と1970年代で世代が異なるステンレス車体。
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廃線後に整備された公園。実際には右側の砂利敷きが廃線跡で、残された線路は保線用だったもの。河東線の廃線跡では線路の撤去が進み、踏切の路盤やガード橋しか残っていません。
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河東線須坂以南廃止後に用地を再利用した駐車場。陸送されてきた電車を併用軌道上で台車交換可能で、廃線で信越本線から分断された状況を象徴するような設備です。
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須坂駅の南、正面が廃止された河東線屋代方面、右へ曲がる方が長野線長野方面。長野発着がメインになった後も国鉄からの急行乗り入れが河東線経由で行われていました。信越本線非電化時代はアプト区間対応の急行...
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須坂駅の駅舎寄り、使われていない5番線。結局、長野発着がメインルートになってしまったため、廃止前から河東線の松代・屋代方面は須坂発着の区間運転のみ。4・5番線は長野方面に繋がっていないため、狭い5番線...
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千曲川東側に位置する須坂駅。今も長野電鉄の車庫と工場がある拠点。信越本線長野駅の南、屋代駅から飯山・野沢を目指して1922年に開業した河東鉄道が長野電鉄の母体。長野駅の北に位置する豊野駅から千曲川の西...
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車体の連結部に台車がある連接車。様々な試作車が幾度も生まれながら、小田急の特急車でのみ引き継がれてきた連接構造。
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空港アクセスを離れて、長野の街へ転身した253系。原色に近い赤が目立つ有料特急。
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市街地を離れて、冬枯れた果樹園の間を。雪がちらつき始めた鉄路。
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大手私鉄では東急に続く分社化。2026年4月をめどに実施。現在の南海電気鉄道は、不動産事業などの事業者に。
冬版の「青春18きっぷ」は3日用が登場。一方で、有効期間は連続3・5日間、複数人利用はNGに。
京急が11月のダイヤ改正を発表。「イブニング・ウィング号」は、横浜駅などに新たに停車。
10月14日から一部日を除き運休となっている「サンライズ出雲」。なぜ「出雲」が対象なのでしょうか。JR西日本に聞きました。
この車両、いつまで走る? 引退が危ぶまれる車両や、見た目が変わりそうな車両をご紹介。今回は西武編です。
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